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文化・風習
このコーナーでは毎回、中国の文化や風習をご紹介します。 第3回 中国酒中国の酒造りは千年以上の歴史があり、世界で最も古いと言われています。古くの時代から人間生活と深い関係で結ばれてきています。歴代の英雄豪傑、文人墨客の精神的生活と社交の中で重要な役割をしてきたお酒は、今は儀礼往来の媒介と人間関係の潤滑油になり、現代の社交生活に欠けてはならないものになっています。 中国酒といえば、普通「白酒」、「黄酒」、「薬酒」 という三つの種類があります。一般的には、「白酒」は茅台酒(貴州省特産の蜀黍を主な原料とする)に代表される蒸留酒で、「黄酒」は紹興酒(浙江省や上海 市周辺の産地)に代表される醸造酒で、そして「薬酒」は漢方薬を含むお酒です。 「白酒」は蜀黍,小麦、豆類、とうもろこしなどが原料で、アルコール度数が38度から50度 以上のもあり、油っこい中華料理には最高です。そして、数十種類の香り成分を含み、香りが高く透明のお酒です。飲みすぎても二日酔いせず、むしろ適当に飲 めば健康に良いとされているので、健康維持を望む人、特に中高年者に愛飲されています。三大銘酒といえば、「茅台酒」「汾酒」「瀘州老窖特曲酒」というの があり、そのうち、茅台酒は300年以上の歴史を持ち、国酒として認められ、各種の賞を受賞している銘酒です。国の外交宴会で国賓を接待する際、よく用いられるお酒で、普通の人たちまでもお祝いの宴席で用いる高級酒です。 日本人に親しまれている「黄酒」といえば、紹興酒や老酒が取り上げられます。「黄酒」は糯米、麦麹、酒薬、水、漿水を原材料に造られ、琥珀色、薄緑、黒色、赤い色など濃い色があります。アルコール度数が14~18度 で、温めて飲むのが最適で、特に寒い時にぴったりです。上海人の大好物――上海ガニの姿蒸しを食べる時、欠かせないのはこの黄酒です。体を冷やす蟹を黄酒 や生姜と一緒に食べると、お腹を壊す心配もせず、蟹のおいしさを満喫できます。そして、大部分の中国料理と相性が抜群な黄酒は、飲用のほかに、日本酒と同 様に調味料としても用います。 「薬酒」は黄酒や白酒に薬草や漢方薬を漬け込んで造られたお酒で、自家製で飲んでいる人々も多いです。消化を助けて食欲を増進させたり、血流をよくしたり、深い眠りを誘うなどの効果があるので、長生きを望む老人をはじめ、中壮年の体力労働者などにも喜ばれています。 今の中国では一番よく飲まれているお酒といえば、や はりビールです。それぞれの地方に代表のビールがあります。たとえば上海は立波ビール、北京は燕京ビールがあります。日本人のよく知っている中国ビールの 青島ビールはもともと地方のビールですが、世界でも名が知られています。毎年の夏に青島で国際ビール祭りが開催され、文化イベントなど様々な催しが行われ ます。サントリー、アサヒ、キリンなど日本のビールも中国人に人気があります。ちなみに、中国のビールの注ぎ方は日本と違って、泡がたくさん立つように注 ぐほうがもっとおいしいと思って、好まれるようです。そして、特に夏の冷たいビールは好まれて、消費量がぐっと上がります。 飲酒作法は国によって、ずいぶん違いますが、日本で は一度の乾杯で宴会が始まりますが、中国では食事の途中にも頻繁に乾杯を繰り返す習慣があります。乾杯には、基本的に小さいグラスや杯で「白酒」を使いま す。宴会では、友達の間や主人と客の間において、お互いに「もう一杯どうぞ」と酒を勧め合います。このような習慣によって、相手に対する自分の思いやりと 友情を伝えたりします。飲める量を超えて、お互いに初めて友情として認め合う考え方は多くの中国人が持っています。「気持ちが深ければ、一気に飲むこと だ」という考え方もあります。それに、一気に飲み干したら、相手に向けて杯を傾け、底を見せたり、逆さにしたりして、これによって相手に敬意や誠意を表し ます。酒を薦めてくる時は「飲み干す」を意味するので、もし飲め干せなければ、自分を軽く見ていることを示すので、怒られることもあります。特に中国の南 のほうより北のほうがお酒に強い人が多く、そういうことにこだわる人が多いようです。お酒を相手の杯にいっぱい注いだり、自分の杯を相手の杯より低い位置 で当てたりするのも相手を尊敬する意味です。中国の古い言葉「酒は知己に逢えば千杯も少なし」にあるとおり、お酒は親しさを深めることにつながるので、宴 席の雰囲気を盛り上げる上で、重要な役割をしています。 しかし、社会事情の変化とともに、中国人の飲酒習慣 が少しずつ変わっていくでしょう。たとえば、本当に飲めない場合はそのことをはっきり話したりしても大丈夫になってきています。近年、中国では、「代酒」 (他の人が本人に代わってお酒を飲むこと)という新しい習慣も現れました。例えば、結婚披露宴で、もし新郎か新婦があまり酒を飲めない人ならば、酒を勧め られた時、付き添いの人が、代わりに酒を飲むということもあります。食事を始める前に、みんなで杯を挙げ、乾杯をしますが、席が離れているせいか、最近は そうする代わりに、「乾杯!」と叫びながら、杯でテーブルをテンポ揃って軽く叩くような祝い方も出てきました。その後は、飲める分だけ、「適量」に飲んで もいいとされています。最近の北京や上海などの大都市では、特に若者の間、乾杯に白酒を用いなくなり、ビールや紹興酒などの「黄酒」を用いるようになって きています。特にこの二年間以来、交通安全のために、中国は酒気帯び運転、酒酔い運転に対する取締りを強化してきて、みんなは飲酒後の運転を控えるように なってきています。これからは、長年続けてきた豪快で直接的なお酒の勧め方は婉曲で相手のことを配慮するようになってくるでしょう。 (国際交流員 呉偉麗)
第2回 春節中国ではいろいろな祝日がありますが、中でも最も重要なのが春節(chūnjié)です。「過年(guònián)」とも言われる春節は、通 常旧暦12月23日の「祭灶(jìzào)」から旧暦正月15日の「元宵節(yuánxiāojié)」までの期間を指します。「過年(春節)」は古くからの習慣で、民間には「過年」の由来に関する言い伝えが数多くあります。その中の一説に「年(nián)」という怪獣の話が あります。昔々「年」という怪獣がいて、家畜を食べたり、人を傷つけたりしていたので、人々は安心して暮らすことが出来ませんでした。そこで神様が「年」 に罰を与え、山奥に閉じこめて、年に一度、除夕(chúxī大晦日)の夜しか外出することを許さなかったのです。そのため、除夕の夜になると人々は外 出を控え、「年」と戦わなければなりませんでした。 ある年の除夕、「年」がまた村にやってきたときのことです。たまたま庭で焼いていた竹 が、ポンポン、パチパチという音を発しました。「年」は何の音かわからず、びっくりして大慌てで逃げ出しました。逃げる途中、鮮やかな赤色の服が干してあ りました。その赤い服を見た途端、目が刺されたかのように痛んで「年」は目を開けていられなくなり、いっそう速く走り出しました。走って疲れ果てた「年」 は一軒の民家を見つけ、そこに逃げ込みました。ところが、その民家に灯っていた蝋燭の光のまぶしさに「年」はめまいがしました。そして急いで山奥に戻って しまい、二度と出てくることがありませんでした。 こうして人々は、「年」の弱点をつかみました。それは、大きな音、赤い色、火と光です。それから、毎年「年」が出てくる時期になると、人々は玄関に赤い紙を張り、爆竹を鳴らし、太鼓をたたき、蝋燭を灯すようになりました。これが「過年」の由来です。 さて、春節のとき何をするかというと、まず、どの家でも徹底的に大掃除を行います。不吉なものを追い出すのが目的の一つです。また、めでたい言葉を赤色 の紙に書きつけた「春聯(chūnlián)」を門や玄関の外に張ります。春聯に書く言葉には、例えば「万事如意 新春伊始 五穀丰登 福寿即来」と いうものがありますが、この大体の意味は「万事が思い通りに進んでいき、穀物がたくさん収穫できますように」ということです。ほかに、「福」の字を逆さに 貼る習慣もあります。「福」は中国語で幸せという意味で、「福」を逆さに貼ることを中国語で「福倒(fúdǎo)」といい、ちょうど、幸せが来たとい う中国語の「福到(fúdào)」と同じ発音になります。 おいしいものを食べることも春節の重要な一部分です。いろいろな食料の用意 は春節が来るだいぶ前から始まります。地方によって食べるものが違ってきますが、豊富な料理はもちろん、各種の果物やお菓子なども、家族とお客さん用に用 意されます。各スーパーにも、まるでただで品物が売られているかのように、買い物客があふれます。 「年夜飯 (niányèfàn)」と呼ばれる除夜の夕食は一年中で最も重要な晩御飯です。一家団らんの意味もありますので、必ず家族全員がそろって食卓を囲 みながら、にぎやかに「年夜飯」をとります。しかし、最近では時間が節約でき、簡単であるなどの理由から、「年夜飯」をレストランで食べる家庭が多くなっ てきました。夕食後の娯楽としては「春節聯歓晩会(chūnjié liánhuān wǎnhuì)」、トランプ、マージャンなどがあげられます。「春節聯歓晩会」とは、日本でいえば紅白歌合戦のような位置づけのテレビ番組です。内容 は歌だけにとどまらず、踊り、漫才、雑技など様々です。 春節の雰囲気を最もよく表してくれるのは、爆竹の音と鮮やかに打ちあがる花火で しょう。しかし、最近大都市では安全上の理由から爆竹が禁止されてしまっているところもあります。多くの地方では「除夕」12時に合わせ、街中に爆竹の大 きな音とともに、まぶしいほどの花火が打ち上げられ、人々はその雰囲気に酔いしれます。 新年を祝い、友達や親戚の家へ年始回りをするのが 「拝年(bàinián)」です。「拝年」は自分の家から始めるのが一般的です。旧暦1月1日の朝、目が覚めるとまず、目上の人に向かっておめでとう の言葉を言います。例えば、「新年快楽(xīnniánkuàilè)」(あけましておめでとうございます)、「万事如意 (wànshìrúyì)」(万事が思い通りに)など様々です。自分の目上のみんなに「拝年」した後、外で会う人ともお互いにおめでとうの言葉を 交わします。 時代の流れに伴い、最近特に都会では春節の過ごし方がますます簡素化しつつあります。これも急速な社会発展の代 償なのでしょうか。ただ、唯一変わらないのは、春節が「団らんの日」であることです。家を離れ他郷にいる人々も、この時期になると必ず家族のところへ戻っ てきます。春節は期待に満ちた新しい一年のスタートです。 (国際交流員 劉宇婷) 第1回 中秋節
海上昇明月、天涯共此時。 旧暦8月15日は、中国伝統の節句――中秋節です。この日は秋の真ん中にあるので、中秋と呼ばれています。2008年は9月14日が中秋節にあたります。 西洋文明の「太陽神崇拝」とは対照的に、中国の伝統節句の多くは月を根源としています。「人月両円(中国の言葉で人事も満月のように円満になるよ うにという意味)」、月は古来より人々が「円満、幸福」を追求する精神寄託でした。その月が一年で最も丸く、明るく照り輝く日が旧暦8月15日なので、こ の日を中秋節とし、家族団らんの意味から中国では「団円節tuanyuanjie」とも呼ばれます。中国では「春節(旧正月)」に次ぐ二大節句の一つで す。 この日になると、家を離れている人達は必ず家族のところに戻ってきます。一家団らんで食事をし、庭に供え物を並べ、月餅や果物を食べて、豊作を祝いながらお月見をします。 中秋節の食べ物――月餅 Yue Bing中秋節に決まって食べるお菓子を月餅といい、その月のように円い形は家族団らんを象徴しています。「月餅」と書きますが、餅という字は日本のお餅 の意味ではなく、小麦粉で作った料理やお菓子によく使われます。月餅は、非常に縁起がよい食べ物といわれています。家族で集まって、月を鑑賞しながら、月 餅をみんなで食べるのが普通です。 中秋節の旧暦8月15日、ほとんどの家族は一家揃って、ご飯を食べます。その後、みんなで月餅を味わいます。遠くにいる家族もこの日だけは故郷に帰りますが、どうしても帰れない時には、夜、月が出ている方向に向かって座り、家族を思いながら月餅を食べます。 月餅は中国各地によってさまざまな違いがありますが、代表的なのが蘇式と広式の2種類です。蘇州、蘇北地区が発祥地といわれる蘇式は、月餅の皮が ポロポロと落ちやすく、食べるのに一苦労するかもしれませんが、独特の食べ応えがあります。一方で、広東地域を中心に発展してきた広式は、キツネ色の皮 に、ぎっしりと詰まった餡が特徴です。また、上海では、福州路にある「杏花楼」が100年の歴史を誇り有名です。最近では、アイスクリームの月餅も登場 し、「雪月餅」と呼ばれています。 ただ、近頃は「月餅を買う人は月餅を食べず、月餅を食べる人は月餅を買わない」といわれます。というのは、日本のお中元・お歳暮のような感覚で、 人間関係を円滑にする目的で月餅を贈ることが多くなってきていますからです。このように、月餅も一つの大きな「月餅産業」となりつつあります。 中秋節にまつわる有名な3つの伝説その1 「嫦娥奔月」Chang E Ben Yue昔々、空には10個の太陽が昼夜を問わずに大地を照らしていました。そのため地上は焼けつくように熱く、作物も育たず飲み水もなく、人々の生活は 大変苦しいものでした。その頃、天界からやって来た弓の名手「后羿〈HouYi〉」が弓に矢をかけ、9つの太陽をつぎつぎと射落としました。最後に残った 太陽は、射落とされるのを恐れて、「早朝に昇り、夕方に沈むように」という羿の求めを聞き入れました。こうして、気候が順調になり、万物がすくすくと伸び て、人々は平和に暮らせるようになりました。 しかし、后羿が射落とした9つの太陽は、実は天帝の子供達だったのです。天帝はひどく怒り、后羿とその妻の嫦娥を人間界へと追い出してしまいまし た。西方の崑崙山に住む西王母(中国の伝説の女神)が后羿に同情し、いつか天界へ帰って来られるように、たった一粒しかない不老不死の薬を后羿に贈りまし た。しかし后羿は自分だけが不老不死になろうとは思わなかったので、家に帰り、嫦娥にそれをしまわせました。 その年の8月15日、后羿が出かけている間に、彼が不老不死の薬を持っていることを知った悪党が、嫦娥のところへ押し入り、不老不死の薬を出せと 迫りました。彼女はその薬を取られまいと自分で飲んでしまいました。そうすると、段々身体が軽くなり、浮き上がって、ついには月にある宮殿「広寒宮」へと 昇って行ってしまいました。そして、月の女神「広寒宮宮主」となったのです。 猟から戻ってきた后羿は、嫦娥が月へ行ったと知り、庭にテーブルを置いて嫦娥の好きな果物を供え、嫦娥をしのびました。これが毎年続き、やがては世間にも伝わり、お月見の習慣へと結び付きました。 その2 「玉兔搗薬」 Yu Gui Dao Yao月と言うと、必ずウサギを連想しますね。中国の言い伝えでは、3人の神仙がみすぼらしい憐れな老人に姿を変えて、それぞれキツネ、サル、ウサギに 食べ物を乞いました。キツネとサルは老人に食べさせる食べ物を持っていたのですが、ウサギには何もありませんでした。どうにかして老人に食べ物を与えたい と、善良なウサギは考えに考えて、とうとう火の中へ飛び込み、自分を老人に捧げました。これを見た天帝はことのほか感動し、ウサギを月宮に上げて「玉兔」 にし、嫦娥に付き添って薬作りを手伝うようにしたのです。 その3 「呉剛伐桂」Wu Gang Fa Gui空を仰いで月を眺めると、その表面に黒い人影のようなものが見える気がしませんか。中国の伝説では、それは呉剛という人が樹を切っている姿なのです。 呉剛は元々人間界できこりとして暮らしていました。彼は仙人になりたいと考えていましたが、熱心に修行する気はありませんでした。その様子を見た 天帝は、呉剛を月宮に連れて来て、月にある桂の樹を切り倒すことができたら仙人にしてやろうと言いました。しかし、呉剛がいくら樹に斧を入れても、その切 り口が自然にふさがってしまい、なかなか切り倒すことができません。こうして、どうしても仙人になりたい呉剛は今でも月で桂の樹に斧を振るい続けているの です。 |